原宿を歩く人の13%
こんにちは。PLAYGROUND NAGOYAのnatsukiです。
最初に挙げた数字。これは2022年上旬ごろの原宿を歩く男性のNIKE DUNKの着用率(PLAYGROUND社長調べ)です。
それほどまでに様々な人が着用しているDUNK。僕も数足保持しています。
なので今回は少しDUNKについて触れてみようかなと。
DUNKについては僕よりも詳しい人はゴマンといるとは思うので広く、少し深くといった感じでお伝えできたらと思います。
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NIKE DUNK LOW
SIZE : US 11 (29cm)
PRICE : ¥9,900- (tax in)
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NIKE DUNK HIGH
SIZE : US 6 (24cm)
PRICE : ¥12,100- (tax in)
まずは成り立ちから。
オリジナルはみなさんご存知の通り1985年。当時、アメリカの大学バスケットは非常に盛り上がっていました。
それこそかの有名なマイケル・ジョーダンが1984年にNBAにドラフトされたのでその影響も大きかったのでしょう。
なぜアメリカ大学バスケの話を出したかというと元々DUNKはこの大学バスケに向けて作られたスニーカーだからです。
「BE TRUE TO YOUR SCHOOL」というコンセプトのもとミシガン大学、ネバダ大学、ノースカロライナ大学、ケンタッキー大学、アイオワ大学、アリゾナ大学、セント・ジョーンズ大学の7校にカレッジカラーと名付けられた計7色のDUNKが作られました。
NIKE DUNK LOW
ネバダ大学カラー。2020年製ながら2回目の復刻となる本作。
そんなDUNKはエアーを搭載していないにも関わらずクッション性等も良く当時最先端の技術を詰め込まれ、ボーラーの足元を支えたといいます。(実はエアーを搭載したDUNK、通称AIR DUNKも存在します)
当時は安く作ることが大本命だったため、韓国で生産され、球数も少なかったとのこと。
ちなみにFRAGMENTなどを手掛ける藤原ヒロシ氏も1985年のDUNKをスケートボードの際に着用しており、「アウトソールのグリップ製が高く、他のスニーカーに比べてミッドソールが薄いためスケートボードに最適だった」と述べています。また、購入当時はAIR JORDAN 1の色違いだと思って購入したそうです。
その後、DUNKは1999年の春夏に初復刻されます。
NIKEはこの頃苦戦を強いられており、それを救うべく、ついにこの名作の復刻が販売されたというわけです。
ハイカットが6色、ローカットが3色がまずは登場。その後秋口あたりにこの9つのカラーを反転させたモデル、通称「裏ダンク」が発売されました。
(裏ダンク、もしよかったら調べてみてください。めちゃくちゃ格好良いです)
この裏ダンクは工場の製造ミスから製品化されたという噂もありますが詳細は今もなお不明。
その他のDUNKの功績といえばSBの登場かと思います。
少し述べたように藤原ヒロシ氏をはじめ、アメリカのスケートボーダーも実際にスケートでDUNKを使用していました。
SBとしてスケートシューズに必要なものは何かを考えた時にベースになったのがDUNKというわけです。
ちなみに日本でのDUNK SB登場は2002年の11月にSUPREME別注が初です。
その後もトピックはいくつかありますがまた長くなってしまうのでとりあえずここまで。
今もなお愛されているDUNK。正直もう少し数を絞って質を高めに販売して欲しいところですが名作であることには間違い無いと思います。
NIKE DUNK HIGH
2003年製らしい素材感もさることながら裏ダンクのようなカラーリングが特徴。
それこそスケートでボロボロになるまで履くも良いと思いますし、セットアップなどの外しとしてDUNKとかを個人的には履きたい。
そんなことを思いつつ、今回のBLOGはおしまいです。ではまた。
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